【穂波】
「……しっかりして、君……」

【唯】
(……誰だ……?)

心地良く 耳朶 (じだ)にささやきかける声と、
あたたかな指先が、額にやさしく触れる感触に 促 (うなが)され、
ゆっくりとまぶたを押し開く。

【穂波】
「良かった、気がついたみたいだね。
 君、大丈夫? どこか痛むところは?」

【唯】
「……誰だ、お前は」


かすみがかった目を凝らして見ても、
ほっとした様子でのぞき込む、その顔に憶えがない。

【唯】
(――オレは今まで何を? ……ここはどこだ?)


【穂波】
「まだ動かないで。もう少し横になった方がいい」

【唯】
「お前……何者だ。
 オレに何をした? ここはどこだ!」


【穂波】
「君、もしかして自分が気を失って倒れていたこと、
 憶えてない……?」

【唯】
「……倒れた……」


【穂波】
「そこの小道に倒れている君を見つけた時は、
 本当にびっくりした」

【唯】
「……倒れたオレを見つけて、お前が介抱したのか?」


【穂波】
「こんな所に寝かせてごめん。
 様子が分からないから、
 あまり動かさない方がいいと思って」

【穂波】
「人が通らない場所だから、助けも呼べなくて焦った。
 気がついて良かった」

【穂波】
「見たところ外傷は無い様子だけど、
 気をつけた方がいい。どこか痛むところは?」

【唯】
「……特にない」


【穂波】
「そう、良かった」

【唯】
「オレはどのくらい、ここに寝ていた?」


【穂波】
「本鈴が鳴ったのが、今から20分ほど前だから、
 かれこれ30分以上になるかな……」

【唯】
「そんなに……」

【唯】
「……授業が始まっているのに、
 今までずっとオレを看てくれたのか」

【唯】
「すまない、面倒をかけた」

【穂波】
「気にしないで。大したことはしてないから」

【穂波】
「ところで、君は中等部の子だね?
 残念だけど、ここは中等部の敷地じゃないよ。
 広いから迷ったんだね」

【唯】
「……中等部?」


【穂波】
「あれ、違う? もしかして初等部の子?
 歳はいくつなのかな」

【穂波】
「初等部までの道が分からないなら、
 俺が校舎まで案内するよ」

【唯】
「――オレは初等部でも中等部でもない、
 星辰學院の生徒だ。
 オレは三年、お前より上の学年だ」



【穂波】
「……え? ええと、それじゃ君はもしかして、
 俺の――先輩?」

【唯】
「そうだ。分かったら、以後、オレを子供扱いするな。
 了解したか!」

【穂波】
「はい、了解しました!」

【穂波】
「ごめんなさい、
 俺、知らなかったとはいえ先輩に向かって、
 失礼な態度でしたね」

【唯】
「……知らない相手に子供扱いされるのには、慣れた」


【穂波】
「先輩……」

【穂波】
「あの、身体の具合はどうです?
 気分が悪い時は、遠慮無くそう言って下さい」

【唯】
「オレは平気だ。こういうことはよくある。
 ……もう慣れた」


【穂波】
「こんな風に倒れることが、
 慣れるほど、たびたびあるんですか?」

【唯】
「…………」


そう──唯にとって、こんなことは良くあることだ。
四年前から、もう何度も、何度も。

けれど、これほど短期間のうちに急速に魔力を消耗し、
人前で意識を失う事態に陥ったのは、
唯にとって、これが初めての経験であった。

ことさら気をゆるめ、油断していたわけではない。
四年前のことがあってから、
唯は自身の魔力残量を常に意識するよう心がけてきた。

だが──予想外のことが起きてしまった。

魔力の目減りするペースは熟知していたはずだったが、
その目算がここにきて大きく外れたのだ。

これまでの経験則を遙かに上回る速さで魔力が失われ、
そのため、唯はこうして倒れる羽目になった。

任務のあとに不足する力を常に補充してくれた、
エルネイがいない現状に、初めて唯は危機感を覚える。

【穂波】
「差し出がましいかも知れませんが、病院へは……?」

【唯】
「原因は分かっている。医者には治せない。
 これはオレが自分で解決しなければならないことだ」

【唯】
「誰も──頼りにはできない」

【穂波】
「それじゃあ、さっきみたいに一人で倒れることが、
 またあるかも知れないんですね?」

【穂波】
「やっぱり、誰かに相談するべきでは……」

【唯】
「いや。ひとりで倒れることがないよう、
 いっそう努めるまでだ。
 ……事情を人に明かす気はない」


【穂波】
「……先輩……」

【唯】
「…………」


【穂波】
「それじゃ、こういうのはどうですか?」

【穂波】
「体調が良くないことを、誰にも知られたくない時は、
 いつでも俺に言って下さい」

【穂波】
「先輩は不本意でしょうけど、
 俺はもう、知ってしまったわけですから、
 隠す必要はありません」

【穂波】
「だから、俺を便利に使ってくれていいですよ」

【唯】
「……!」


唯の身体を心から気遣っていることが伝わる、
年下の少年の真摯なまなざし。

見知らぬ少年のその眸に、唯は困惑を覚える。

【唯】
「――ひとつ確認しておきたい。
 お前はオレと、
 これまで一度も会ったことが無い……はずだな」


【穂波】
「そうですね。お会いするのは今日が初めてです」

【唯】
「ならば、お前はどうして会ったばかりのオレを、
 そんなにも気遣う?
 ……何か目的でもあるのか?」

【穂波】
「どうしてって……変ですか?
 具合の悪そうな人を心配することは」

【唯】
「……お前にそこまでしてもらえる理由がない」


【穂波】
「理由がないと駄目でしょうか? 
 困っている人の助けになりたいって、
 そんな風に思うのは……」

【唯】
「会ったばかりの人間に、何の見返りも求めず、
 そこまで親身になれるものか……?」


【穂波】
「こうして出会ったのも、きっと何かの縁です。
 あなたはもう知らない人じゃない」

【穂波】
「そして、繋がりを持った相手を心配するのは、
 俺には普通のことですから」

【唯】
「!」


【穂波】
「『困っている人には親切に』。
 これ、じいちゃんの口癖なんです」

【穂波】
「警戒するのは当然でしょうけど、他意はありません。
 安心して下さい。
 俺がお節介なだけなんです」

そう言って、屈託なく唯に笑いかけるその表情の上に、
企みやはかりごとの翳りは、確かに見えない。

【唯】
(――考えてみれば、こいつは倒れていたオレを、
 介抱してくれた恩人だ。
 言う通り、他意はないと見るのが正しい)

【唯】
(だとすると、そんな相手に対して、
 オレの態度はかなり礼を逸したものだった……)

【唯】
(ここは素直に謝るべき――だろうか)




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