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誕生日SS / 朱里×唯

「birth」
著:高野克巳


それは、暮れなずむ秋も深まり、間近に冬の到来を待つばかりとなった、とある穏やかな放課後の出来事だった。


 星辰學院での本日の授業をすべて終え、特別寮の自室にひとあし先に戻った唯は、対《精霊》魔術機関《オグドアス》本部から送られてきた書類に目を通していた。
 決裁待ちの書類に了承のサインを入れ、唯は長らく紙面に走らせた視線をようやく上げる。
「これで良し……と」
 提出書類に記載洩れが無いか、もう一度じっくりと初めから書面をあらためて、日付欄の記入が抜けていることに気がつく。
 さっそく日付を書き入れようとして、唯は卓上に置かれたカレンダーに目を向ける。

 二〇一×年、十一月一日、月曜日。

 暦が示した月日は、唯が仲間と共に立ち向かい激戦の果て解決に至った、世界を揺るがす大規模な《精霊》事件からすでに一ヶ月半近くが過ぎたことを教える。
 同時に、その日付は、唯にとって今日が特別な一日であることを示す。
 十一月一日──それは今を遡ること十数年前、『真名瀬唯』という人間がこの世に生を受けた、最初の日。
 唯の誕生を記念する日。
 誕生日とは、その誕生を心から祝う『家族』がいる者にとってのみ、意義を持つ記念日だと考えていた。だから、幼い頃に両親を失った唯は、この“唯の誕生日”というものに他の誰かが価値を見出すことがあるなど思いもしなかった。

 だけど、それは違った。

 世界中の誰にも、何の感慨を与えることもないと思ったこの日に、特別な意味を見いだしてくれる相手が、まだ自分にも存在するという事実を唯は知った。
 その人の名は、エルネイ・アウシュロス────唯の後見人。
 対《精霊》魔術機関《オグドアス》で、最高位の職務である《祭司長》の役目を任じられた人物。
 両親と記憶のすべてを失った挙げ句、制御できない力を危険視され塔に閉じ込められた幼い唯を、幽閉の日々から救ってくれた恩人。
 エルネイは、唯がかつて失った大切な人たちに代わって、凍える心にぬくもりを与えてくれた大切な人だ。
 毎年、この日が訪れるたび、エルネイは唯に贈り物をくれた。
 真名瀬唯という人間がこの世界に生まれたことを心から喜び、その誕生を祝する言葉をエルネイは贈ってくれた。
 けれど、振り向けばいつも静かに見守ってくれた、あの透徹した琥珀のまなざしは、今、唯のそばにない。
 誕生日に贈り物をするのは、ずっと『家族』だけの習わしだと思ったから、親代わりのエルネイがそばに居ない現在、唯に誕生祝いを届けてくれる者もないと思っていた。
 だから、むっつりと押し黙ったまま突き出された品を受け取った瞬間にも、それが何を意図する行為であるか、唯はとっさに理解できなかった。
 そんなことはあり得ない、あるはずがない、と────思い込んでいたから、夢にも思わなかったのだ。
 心のこもった誕生祝いの贈り物を、ふたたび唯が受け取る時が来ることを。


「──朱里。これは……いったい、何だ?」
 書類を書き上げて寛いだところに、ちょうどタイミング良く訪ねてきた朱里を招き入れると、いきなり朱里は「お前に渡したい物がある」と言って、取り出した品を強引に唯の手に押しつけた。
 困惑しながら確かめると、それは上品なチャコールブラウンの包装紙と金色のリボンでシックにまとめられた小さな包みだった。
 どう見ても贈呈品としか思えぬ包みと、その包みを手渡した朱里の顔を、困ったように何度も見比べる唯の態度に、朱里は憮然と顔をしかめる。
「鈍い奴だな。これは俺からの誕生祝いだ。いいから黙って受け取れ」
「……誕生祝い?」
「ああ、そうだ」
「まさか……これを、オレのために……?」
「……だから、そうだと言ってるだろうが! 今日はお前の誕生日だ。パートナーの俺が祝ったところで問題ないはずだ。それとも、俺に祝われるのは迷惑か?」
「! いや、そんなつもりは……」
「だったら、祝いの品ぐらい黙って受け取れ。お前のために用意したものだ」
 そう言って、朱里は綺麗にリボンをかけられた包みごと、両手で唯の手のひらを包み込む。それはまるで、この行いを唯に拒まれるのを恐れるような仕草だった。

 唯の誕生を祝うためだけに、朱里の手で用意された贈り物。
 はっきりと自覚した瞬間、手の中の包みが急に熱を帯びたようにあたたかく感じられた。

 何と言えば良いか分からず、唯は戸惑いに言葉を失う。驚きばかりが先走り、胸に込み上げる思いが上手くかたちにならない。
「──去年の今頃、俺たちの間にあったわだかまりは解ける兆しもなかった。だから、あの頃はお前の誕生日と知りながら、俺はお前に祝福の言葉ひとつ贈らなかった」
「…………」
「だが、今は違う。──そうだな?」
「! ああ、その通りだ」
 同意を求める問いに強くうなずき返して、きっぱりと答える唯に、朱里は嬉しげに微笑む。
「ならば、おのれの気持ちを何かで誤魔化す必要はない。俺がそうしたいと思ったから、祝う。お前にも文句は言わせん」
「……そ、そうか……」
 朱里の宣言に、唯はぎくしゃくと首をうなずかせる。動揺を隠しきれないぎこちない態度に、朱里の微笑みは苦笑へと変わる。
「……誕生日に祝いの品を贈るなど、確かに自分でも似合わぬことをしている自覚はある。だが、お前にそこまで驚かれるとさすがに傷つくぞ、唯」
「あ──その、すまない。オレは、ただ……」
「唯?」
「オレはずっと、こういう行為は家族だけのものと思い込んでいた。それで──」
「ああ……そういうことか。家族、か……」
「…………」
「そうだな────ならば、唯。俺はここでお前に誓おう」
「……? 何を……」
「これからは、お前が失った大切な人たちの分も、俺が祝おう。お前の生まれたこの日を、世界中の誰が思うよりも、ずっと」
「──っ!」
「この日を祝うお前に最も近しい者は、この先もずっと俺でありたい」
 真剣なまなざしを唯に向けて、朱里は告げる。
 熱く胸に込み上げた思いの丈をうまく伝える言葉が浮かばず、唯はただ黙って朱里にうなずき返すと、手の中の小さな包みをそっと握り込んだ。


 いつの間に手配されたか、その日の晩餐は唯の誕生日を祝うご馳走が食卓を埋めつくした。振る舞われた美食に皆で舌鼓を打ち、その夜の食事風景はいつもより数段にぎやかで楽しいものとなった。
 その後に開かれた、すっかり日々の習慣となった食後のお茶会の席は、飛鳥井たちから唯へ、誕生を祝う言葉と心づかいのプレゼントを贈る場面となった。
「唯くん、誕生日おめでとう」
「先生……」
「鳳城からの贈り物、唯くんが無事に受け取ったようでひと安心だ。ひょっとしてあのまま君に渡さないつもりかと、一時は焦ったからね」
「!」
 唯の制服の胸ポケットにそっと挿された、金色の真新しい万年筆を指さして、飛鳥井は朗らかに微笑む。
 この万年筆が朱里に贈られた品であることを飛鳥井は察したようだ。それどころか、この口ぶりでは朱里が用意したプレゼントを手渡すタイミングを計っていた事実も、すべて飛鳥井に知られていたらしい。
 気恥ずかしい状況をじっと見守られていたと知って、唯の頬が羞恥に染まる。
「本当は、もっと早く君に“おめでとう”って言いたかったんだけど、鳳城を差し置いて、僕たちが先に言っちゃうのは……ね。どうなることかと心配したけど、鳳城が君に一番におめでとうって伝えられて良かったよ」
 こっそり耳打ちされた可笑しげな言葉に、今日の朱里の動向を飛鳥井たちがハラハラと見守った様子が脳裏に思い描かれ、唯はこらえきれず吹き出した。
「唯?」
 いつになく感情を露わにした愉しげな唯の様子に、朱里が驚いたように目を瞬かせる。
 取り繕うことのない、心許した相手にだけ見せるその表情を目にして、胸に衝き上げた思いが素直な言葉となって唇からこぼれる。
「……ありがとう、朱里」
 感謝の気持ちを精一杯の言葉に込めて告げたのが伝わったか、朱里の表情もやわらかくほどける。
「この世にお前が生まれた幸運と、お前と俺を引き合わせた運命とやらに、感謝するとしよう。──誕生日おめでとう、唯」
 穏やかに微笑み交わす唯の胸元で、やわらかな室内灯の明かりを受けた金色の万年筆が、音もなく瞬いた。


END

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